尚美のこと【二夜 前編】
二日目、空は曇っていて昨日より寒い朝を迎えた。
初日は欲張ってアクティブに行動したが、彼女との夜は穏やかに親密に愛し合った。木の香りのするこの部屋で、初めて触れた尚美の「からだ」の成長を確かめるように。
私は射精しなかった。二夜目の夜を濃くするために欲情を残すことにした。六十も過ぎれば精の計画も時には綿密に考えなくてはならない。
この日の予定は昨日行けなかった観光をして、午後は少し離れた温泉地に行くことにした。尚美からは温泉が好きだということを聞いていたので、前もって予定に入れていた。温泉の前に着くと彼女は、はしゃぎながら嬉しそうに車から降り、私の腕を掴んで組んできた。
そんな私達を遠巻きに視線を向けている二人組の男達がいた。どちらも七十近い年齢に見えた。この温泉施設には男湯、女湯、家族風呂の他に混浴風呂がある。たぶん男達は混浴目的だろうと、その目つきの質から察しがついた。
その男達を見て、私に或る企てが頭に浮かんだ。それは彼女を家族風呂へ入ると偽って、混浴の方へ連れていくこと。全く悪ふざけが過ぎる、と思ったが、試してみたい衝動に何故か勝てなかった。
実行に移すと案外容易に事が進んだ。男達は私達が脱衣場への暖簾をくぐるのを、売店で装いながら横目で見ている。私と彼女は脱衣場で服を脱ぎ、浴場に入って湯舟に浸かった。少し熱めの湯だった。
私は尚美の肩を抱き顔を近づけると、それに応じるように彼女は唇を合わせてきた。肩に置いた手をずらして胸に手を当てる。手のひらに乳首のしこりを感じる。湯気が二人を包んだ。
その時、尚美の閉じていた瞼が物音と同時に急に開いた。あの二人組の男達が時を見計らって入ってきたのだった。驚いた尚美は両手で胸を覆って私から遠ざかり、湯舟の奥に身を寄せて潜めるように気配を小さくした。
言い忘れていたが湯舟も浴場も狭い。男達は湯舟に入らず縁に座っている。暫くして、ひとりの男が私に声をかけてきた。
「この温泉ええでしょ、儂らはよぅ使こうとるんです、こっち(混浴)の方が湯が濃い感じがするけぇね」
初めてなので本当か嘘かわからない。「そうなんですね」と応えた。もうひとりの男が言った。
「いいですなぁ、若い奥さんで、羨ましいですわ」
それを聞いて私は応えた。「いえ、夫婦じゃないんですよ」男達は私の顔を見て続きを待っている。
「不倫関係なんです」
ひとりの男が、「ほぅ…」と間の抜けた相槌を打った。
咄嗟に出た嘘ではない言葉。男達の好奇な眼差しが尚美に向けられた。それを聞いた尚美の背中が湯気の中でさらに小さくなった。
意を決した彼女は、男達を避けながら湯舟の縁沿いに身を屈めながら移動して、急いで上がり、脱衣場に逃げて行った。男達の視線が彼女の全裸の後ろ姿を追っている。
尚美は手当たり次第に服を着て、外に飛び出して行った。私を置き去って。
後から来た私を見た尚美は、「いや… ひどい 」と言い残して助手席に乗った。
もしかしたら、今夜のために残していた欲情と精液は諦めるしかないのかな?と半ば覚悟しながらハンドルを握った。
尚美の顔を覗くと、薄く、強く、唇を噛んでいた。
【二夜 後編】に つづく…
尚美のこと【一夜】
尚美は唇を薄く強く噛み、口惜しそうな顔をして車の窓の外に視線を向けている。彼女に長襦袢を着せて初めて縛った、あのときと同じ顔をしていた。
しかしその視線の先は私ではなく、流れる景色でもなく、少し前の時間に向けられているようだった。
私はそんな彼女に声をかけられない。
突然降りかかった、余りにも理不尽で衝撃的な出来事。その動揺と戸惑いを癒す言葉が見つからない。
山小屋に着いて車を停めても、暫く彼女は膝の上の拳を強く握ったままで居た。
それはニ夜目を迎える前だった。
山小屋のある高原ドライブへ出発する朝は快晴で、尚美の生理は二日前に終わっていた。どちらも幸運だった。
尚美との出逢いから年を越えてまだ肌寒さの残る初春。彼女の夫の事情は彼女に二泊三日の自由を赦してくれた。
前とは違ったドライブコースを選び、私の妄想通りのお洒落なカフェとランチをして、彼女の素朴な笑顔を見ながら高原の素朴な初春の自然を感じて過ごした。
そして暮れ始めた頃、山小屋に向かった。着いてシャワーを浴びて、お洒落なお店のテイクアウトとワインを嗜み、心の片隅で彼女の夫の事情を祝った。
でも残念なことに、山小屋の夜に月は無く、月夜に照らされた尚美の「からだ」を眺めることは諦めて、枕元の行灯を灯して華奢な体を嗜むことにした。
その夜は、初めての日を淡く上書きするように、キスをして触り合って交わった。
念のため、濡らしても支障のないシーツをかけた。少しカビ臭い布団の上に。
【二夜 前編】に つづく…